シャンクスは日本にいた!片腕の剣士高宮敏光

片腕の剣士高宮敏光【ハンディを乗り越えた人たち】

今日は、日本で隻腕剣士と言われた高宮敏光さんを取り上げたいと思います。

隻腕とは、ONEPEACE好きの方は、シャンクスをイメージして頂けたら
わかりやすいと思います。

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それでは、実在する隻腕剣士高宮敏光さんのストーリーを
どうぞ。

 

高宮(略称省略)は、熊本県で生まれた。

1歳9カ月のとき、両親がほんの少し目を離した隙に、
脱穀機に巻き込まれて、右腕のひじから先を失った。

この時のご両親の気持ちたるや、
寝ても醒めてもわが子の不幸に対する自責の念に苛まれ、
出口の見えない、想像を絶する苦悶の日々を送られたに違いない。

考えただけでもお気の毒で、
全くの第三者の私でさえも辛く重い気持ちになってくる。

「物心ついたときには右腕がなかったので、
それが当たり前だった」と高宮は言う。

むしろ、周りの人が自分に対して気を使い、
助けの手を差し伸べてくれることが辛く、
そして何よりも、両親に、
自分に対する負い目を感じさせてしまっていることが最も辛かったという。
なんと繊細で心優しい少年だったのだろう。

高宮が剣道を始めたのは小学1年生のとき。

左手一本での素振りや稽古は、
力のない小学生にとってはどれだけ困難なことか。
竹刀を握ったことがある人間ならば誰でも想像できる。

しかし、指導にあたった先生は、高宮を特別扱いすることなく、
他の子供たちと同じように厳しい稽古を課したという。

試合となると、すぐに竹刀を落とされ、
体当たりされては、バランスを失い倒された。

「もっと左腕の力をつけなければ」

高宮はくじけることなく左腕を鍛えに鍛えた。
ビール瓶に砂を入れて左手一本で何百回も素振りをしたという。

その後、高宮は、白水中学で堂々レギュラーを努め、
名門、専大玉名高校に進学。

高校では、インターハイ出場は逃すが、
地元熊本で3位入賞を果たした。

「将来は教師になりたいとずっと思っていました。
これまでに自らが巡り合った指導者たちのように、

子供と真剣に向かい合い、
一人ひとりの良さを引き出せる先生になりたい」と話す高宮。

高校を卒業すると、高宮は熊本を離れ、大阪体育大に進学した。
大体大の稽古は関西一と言われるキツさだ。

身長158cm、体重50kg、
そして、隻腕。

大型選手がズラリと揃う大学剣道界において、
このハンディはどれほど大きいものか。
それを克服するために、どれだけの血と汗と涙を流したのだろうか。
とても想像できることではない。

高宮は左手一本での上段を取るが、
高校・大学と少年剣道との最大の違いは、突きである。

上段選手に突きは鉄則であるが、
左手一本で構える小さな選手に突きは残酷すぎる。

腕力のある選手の突きがもろに当たれば、
一発で場外まで飛んでいってしまうだろう。
その恐怖をいかにして凌駕したのか。

大体大の稽古はハンパではなかった。
体当たりで何度も何度も転がされ、竹刀を叩き落とされ、
でも、倒れても倒れても、歯を食いしばって這い上がり、
その小さな体で耐え抜いた。

何が、彼をそこまでさせたのか。

たった一つ。
「両親に負い目を感じて欲しくないから」

だから、「常に強い自分でいなければならない」

と、ずっと言い聞かせてきたという。

もしも弱いところを両親に見せてしまえば、
両親に負い目を感じさせてしまうから、
「絶対にくじけられない、負けられない」と念じていた。

さて、高宮は人一倍の努力で、
4年時の関西学生選手権(個人戦)に初出場で、ベスト16入りを果たした。
大変なことである。

これで、夢だった全国の切符を手にいれた。

2006年 全日本学生選手権(個人戦)。

2回戦から登場した高宮。
初戦の相手を延長の末に下すと、

そして3回戦は関東学院大3年の林博城と対戦。
相手は大型選手だ。

身長差20cm、体重差50kg。

どっしりと構えた林がまずは小手を先制。
高宮の頑張りもここまでか、
と思った終了間際にコテが決まった。
勝負は延長戦に。

勝負がなかなか決まらない。
10分経過
20分経過
30分経過

厳しく長い鍔迫り合い。
高宮の体力が著しく奪われていく。

高宮、苦し紛れのメンに飛び込む。
林、体をかわし高宮をちょこんと押す。
とっとっと、と足がもつれバランスを失う高宮。

そのまま転倒。
足にもきたか。

高宮、立ち上がる。
しかし高宮には、
もはや竹刀をしっかり握る左手の握力さえも残っていない。

今度は林の攻めだ。
その攻撃を避けようと、竹刀を頭の上に掲げた高宮。
林、その竹刀を下からぐるりと巻いた。

ぽーん

高宮の手を離れた竹刀は、
高い放物線を描いて場外まで飛んでいく。

反則1回!

40分経過。
通常の人間でも限界だろう。

時間無制限という延長戦の非情さである。

体力が限界にきていたことを
一番よく理解していたのは高宮自身だったろう。

それでも、高宮はあきらめなかった。
45分経過。

林が間合いを詰めた。
そろそろ決めようと勝負に出るか。

上段の高宮は、竹刀の握り位置を、
柄の先端(通常の人の左手の握り位置)から、
鍔の位置(通常の人の右手の握り位置)まで
スルリと滑らせて持ち替えた。

高宮も最後の勝負に出るつもりだ。

あっ、

林が一足一刀の間合いから
メンに飛び込んだ!

高宮、すかさず体を右にかわす。

そして握りを持ち替えた竹刀で、
ドウを打った!
右へ抜ける!
走る!
抜けた!!

白旗が3本一斉に揚がった。

それは絶妙のタイミングと
片手とは思えぬスピードと
何よりも、絶対に負けないという執念の勝利だった。

苦しみながらの逆転勝利だった。

観戦していた両親は
ボロボロになりながらも最後の最後まで諦めずに
頑張り通したわが子の勇姿に
涙が止まらなかった。

高宮はその後、4回戦で敗れ、
ベスト16入りとはならなかったが、
最初で最後となった学生個人日本一を争う舞台で、
全国に大きな存在感を示した。

高宮は、「片手でもできる」のではなく「片手だからこそできる」
というプラスの発想の転換によって、
竹刀の握りを変えるという彼ならではの技を編み出したという。

そして、この発想こそが不屈の精神を育んでいったのであろう。

『障害があってもこれだけできるんだ』

『しんどいことに逃げないで立ち向かっていく。』

しっかり頑張っていれば結果はしっかりついてくる。』

血のにじむような努力が逆境を乗り越えた。

現在、高宮は中学校の教師となり、
剣道部の顧問として、子供達に負けない心を教えている。


動画は、これだ・・・

このブログでは、ハンディがありながら強く生き抜く人たちを取り上げてきました。

私たちは、五体満足ながら彼らのように努力しているでしょうか?
彼らの逆境をものともせず強く生き抜く姿勢に
『俺もがんばらなきゃ』とことあるごとに勇気をもらっています。

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斜線部は、剣キチさんのブログより引用抜粋させて頂きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/kenkichinippon/22361225.html

 

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