愛犬を売った!?不屈の男「シルベスター・スタローン」

誰もが知るハリウッドスターの知られざる生い立ち

アンソニー・ロビンズ直伝メンタルコーチの内藤将貴です。

皆さんは、シルベスタースタローンという俳優を一度は目にしたことがあると思います。

ロッキーやランボーをはじめとした様々な映画に出演し
現在も超大作の映画を自ら手掛けるほど活動しており
今もハリウッド映画に欠かせない人物です。

実は、スタローンは出産時に医療ミスによって顔に傷跡が出き、言語障害を持って生まれてきました。

子供のころは周りからそのことをからかわれ、いじめを受けていてました。

その後、両親が9歳の時に離婚したのがきっかけで非行に走り
高校を卒業するまでに14もの学校で入学、退学を繰り返したのです。

高校卒業後には美容師の専門学校へ進んだものの中退し、スイスにあるアメリカンスクールに通いました。

アメリカンスクールを卒業後は再びアメリカに戻り、マイアミ大学の演劇学部に3年間在籍しました。

スタローンが脚本を書き始めたのは、その時のことです。

ニューヨークで俳優を目指す

しかし、マイアミ大学も中退し、23歳でニューヨークに戻り、そこから本格的に俳優を志します。
ニューヨーク中ののキャスティングエージェントのオーディションを受けたものの
受かることはありませんでした。

しかし、スタローンはその間も脚本を書き続けました。

そして1974年、ブルックリンの青春での演技が評論家の目に留まり
妻と愛犬を連れてニューヨークからハリウッドへと行きました。

このころにスタローンが出た映画はどれもエキストラや端役程度で
通行人の一人や、殴られるだけの役などでした。

とても俳優とは呼べないものばかりの小さなブレイクでも、勢いを作ろうとして
真剣に取り組み、もがきました。

脚本づくりもそれまで以上に心血を注いだものの、プロの目に留まることはありませんでした。

人生最大の「後悔」

その後スタローンはニューヨークに帰り
街を歩いていた時に偶然入った図書館で知識を蓄え
 
暖を取るのが習慣になりました。
 
トルストイやエドガーアランポーなどの小説を読み、着々と知識を積み重ねていきましたが
ニューヨークはハリウッドのように仕事が無く
ポルノ映画の役者やボディガードなどでしのぐという、ギリギリの生活を送っていました。
 
このとき、実に54回ものオーディションに落ちたと言われています。
 
スタローンはとうとう、妻の持っていた宝石を売ってお金を得て
愛想をつかされ離婚しました。
 
食べるものもなくなったある日
ついに、最後に残った唯一の友達であり、相棒でもある愛犬を
酒場にいた見知らぬ酔っ払いに、50ドルで売ろうとしました。
 
そして、その半額の25ドルに値引かれながら、愛犬を売ったのです。
 
 
スタローンはこのことを
自分の一生の中で最も大きな失敗だったと後悔しています。
 
 
それから2週間後、スタローンは当時のボクシング界でスーパースターだった
モハメドアリと、チャックウェブナーの試合を見ました。

モハメドアリは黒人でしたが、挑戦者のチャックは白人で、自分の姿に重なりました。
チャックは、アリに強烈なパンチの連打を受けながらも立ち向かい続け
絶対王者のアリと全力で闘いました。
 
 
スタローンは家に帰って、およそ20時間休むことなく、ボクシング映画の脚本を書いたのです。
脚本、台本を映画会社に持ち込み、映画化の直談判をしましたが、どこに行っても断られました。
 
しかし、たった一つだけ台本を買ってくれるところがありました。
 
値段は12万5000ドル、当時の日本円では3500万円という大金でした。
 
しかし、スタローンはなんと、そのオファーを断ったのです。
なぜかというと、スタローンはその映画の主人公をやりたかったのです。
 
映画会社は、当時の全くの無名なスタローンに主演を任せるわけにはいきませんでしたが
台本は買い取りたいと思い、12万ドルから25万ドル
最終的には32万ドルにまで値段を跳ね上げました。

ロッキーの大ヒット 

ですがスタローンは自らを主人公にするという条件だけは譲らず、結局3万5000ドルという
映画の主演では最低クラスでのギャラで決まった映画がロッキーです。
 
 
無名の役者がやってもヒットしないだろうとにらんでいた映画会社の予想を裏切り
全米で2億5000万ドルもの売り上げを記録しました。
 
さらに、アカデミー賞最優秀作品賞を受賞したのです。
 
それから1か月後、愛犬を売ったことをずっと後悔していたスタローンは
犬を売った人に会うべく、最後に行った酒場へ通いました。
 
そして、その人を見つけて犬を再び買い戻そうとしましたが
100ドル、500ドル、1000ドルでも断られてしまい
最終的にはその人に1万5000ドルも払い、買い戻しました。

さらにそれだけではなく、その人と犬をロッキーの次回作に登場させると約束し実際に犬とその人が出演したのです。
その後、ロッキーもシリーズを重ね
スタローンのもとには様々な映画の主演オファーが来て、世界的な大スターとなりました。

まとめ

・極貧で、犬を売りながらもあきらめずに脚本を書き続けた

・こだわりぬいた脚本、ロッキーが大成功した

スタローン自身も生まれつきの障害があり、生い立ちは壮絶なものでした。
しかし、どんな困難があってもそのたびに立ち上がり、前に進み続けます。
 
困難な環境でも努力を続ける様はまさしく、ロッキーの姿そのものです。
 
まだ見たことがないという方は、是非ご覧になってみてください。

 

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