「かわいそう」価値観を見つめ直す

人には人の暮らしや生活があります。
そして生まれ育った環境もあります。

我々の育った国日本は、義務教育というのが設けられており
基本的には小学校、中学校に通って勉強することができます。

そして、小学校へ入学する前の5歳児の約98%は
幼稚園や保育園に通っています。

ある意味それが当たり前となっている国で、世間一般的とされています。


生まれた瞬間から食べ物に困って痩せ細っている子供も
世界的に比較しても恐らく多くないと思います。

そんな環境で育ってきた私たちだからこそ、
どうしても思ってしまうことがあるように思います。

それは経済が安定していない国へ行ったり、スラム街と呼ばれる街で、
道端で物乞いをしている子供たちを見ると

ついつい「かわいそうだ」と思ってしまうことです。


確かに食べるものもない、教育を満足いくほど
受けることができないような子供たちを見ていると
「かわいそう」という気持ちが湧いてきてしまうのも分かります。


しかしそれは何と比べて「かわいそう」なのか。


貧富の差があることは確かに格差を生むかもしれません。
でもそれは決してかわいそうなことではないように思います。

とある国を訪れたときに思いました。


夜遅い時間にご飯を食べていると
本当にまだ小さい子がお花を売りにきたり、


おじいさんに近い男性が落花生を売りにきたり…
私たちも、彼らたちも生活に必死なのには恐らく変わりないでしょう。

しかし、彼らには彼らにしか味わうことのできない
人生の喜びと痛みを味わっていて、
私たちには私たちにしか味わうことのできない
人生の喜びと痛みを味わっているのです。


きっと彼らに私たちと同じような生活をしてごらん
と言ったらそれはそれで大きな物を失うと同時に大きな物を手に入れるでしょう。


私たちも同様で仮に彼らと同じような生活を今からしてごらん、
と放り出されたら大きな苦労もするでしょうが
今までに経験したことのないフリーダムな気持ちも味わう人もいるでしょう。

そして「人」の当たり前の生活を
「かわいそう」と思うのは実に失礼なことのような気さえしました。


世界に出て、世界を知り、

人々に会い、人々と繋がることで

実はこの世は全てが平等であることに気がつくように思います。


編集部