第二次世界大戦においてナチスによる壮絶を極める強制収容所
の中を生き抜いた。
の中を生き抜いた。
その収容所の生活の中でも希望と人間としての尊厳を失わなかった
ことは「夜と霧」という本に書かれていることで有名だ。
今日は、その中でも一つのエピソードをご紹介しよう。
ビクトールフランクルのもとに、
収容所の生活の中で生きる希望を失った多くの囚人が相談に来た。
「もう私の人生には何も期待できない。自ら命を断ったほうが、
まだ人間としての尊厳が保たれるというものではないでしょうか」と。
まだ人間としての尊厳が保たれるというものではないでしょうか」と。
ある日のこと、同様の苦しみを抱えて相談に来た2人の囚人に対して、
私はしばらく沈黙した後、次のように問いかけた。
私はしばらく沈黙した後、次のように問いかけた。
「たとえあなたが人生に何も期待してなくても、
人生の方があなたたち未だ期待しているです。」
人生の方があなたたち未だ期待しているです。」
「何かがまだ、あなたたちを待っているはずです。」
「あなたを待ってる人が、いませんか。」
「あるいは、あなたの人生であなたを待っている何かがでしょうか。」
「あなたの人生でやり残した仕事。」
「あなたがいなければ決して実現されることない何か。」
「そうした何かがあなたの手によって実現され、
完成されるのを待っているのではないでしょうか。」
完成されるのを待っているのではないでしょうか。」
「よく眼を見開いて考えてみましょう。」
「あなたの人生の中で、何かがあなたを待っているのではないでしょうか。」
「誰かがあなたを待っていて、必要としているのではないでしょうか。」
「その何かや誰かのために、あなたのできることが何かないでしょうか」
ビクトール・フランクル
『それでも人生にイエスと言う』より