ろうあのコメディアン女王『キャシー・バックリー』


アンソニー・ロビンズ直伝メンタルコーチの内藤将貴です。

今回は、キャシーバックリー(Kathy Buckley)という
重度の聴覚障害を抱えながら、成功した一人のコメディアンのエピソードをご紹介していきます。

アンソニー・ロビンズのライフマスタリーというセミナーにゲストで参加していて知りましたが、
その当時英語がよく聞き取れない中でも、壮絶な生き方に相当インパクトがありました。

日本では、全く知られていないので、
キャシーの人生を調べてみました。

 

生まれつき極度の聴覚障害を持ち、8歳まで知的障害者として扱われる。

キャシーは生まれつき、極度の難聴でした。
家族などの周囲の人は知的障害によるものと考えられており、障害者の小学校に入れられました。
8歳になるまで、聴覚の障害だと分からず、知的障害者として扱われたのです。

 性的虐待で自殺を考える

さらに、キャシーは継父に性的虐待を受け、10代のころは常に自殺を考えていたそうです。

二度の大事故を乗り越えて

高校卒業前にモデルとなりましたが
不運にも交通事故に遭い顔を32針縫う大けがを負ってしまいます。

ジープに轢かれる

ビーチで日光浴をしているとき
寝ているキャシーの上をライフガードの乗るジープが轢いていったのです。
これがキャシー21歳の時です。

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鼻がつぶれ、内臓も損傷して足の骨が折れました。
足にはさらに燃えるような痛みのマヒが残りました。

およそ1年半、治療とリハビリを重ね
なんとか歩けるようになり、運転もできるようになりました。

肉体的、精神的に大きな傷を残し
入退院を繰り返しながらなんとかモデルの仕事を再開したものの、さらに交通事故に見舞われました。

車を運転中に橋から川に転落

再びモデルの仕事を始めた矢先、なんと仕事場から車で帰る途中
橋から川に転落してしまったのです。

それからさらに2年、治療などを経てロサンゼルスに引っ越します。
倉庫の管理やレストランのウェイトレスなどのような
いくつかの仕事を転々としましたが、指示を理解することが難しく
どれも長続きしませんでした。

そしてキャシーは、ジープに轢かれたときの保険金で
ファッションデザイナーの専門学校に通いました。

最優秀生徒として卒業し、いくつかの職に就くことが出来ましたが、
それも働き続けるのは難しいものでした。

三度目の悲劇が襲いかかる

子宮頸がんの発症

二度の大きな事故を乗り越えたキャシーにさらなる災難が訪れました。
それは子宮頸がんの発症です。

子宮頸がんは、日本では年間約3500人、1日に約10人が子宮頸がんによって命を落としている危険な病気の一つです。

このとき、キャシーは人生でとてつもなく大きな決断をしました。
それはがんの再手術を行わないというものです。

「私は、選択と呼ばれる信じられないほどのギフトを得ました」
「そして、自分の人生の責任を自分で取るということを決めました」
「食事を変え、自分自身に対しての態度を変え、私を傷つけた人々を許しました」

キャシーはそれまでの自分の態度、思い、信念を丸っきり変え
自分の力だけでがんを克服したのです。

健常者と同じように話せるように

その後、キャシーは、マッサージセラピストになるために学校に通いました。

セラピストの免許を取得した後はお客さんとのマッサージを通して
「笑う」ことがいかに生活の向上に役立つか、向上させられるかを理解しました。

また、キャシーは女優になることが長年の夢でした。
キャシーはマッサージセラピストとして多くの施術を行い
お客さんと接することが、その夢を追及する勇気になったそうです。

このとき、マッサージの仕事と並行してスピーチセラピストに13年もの間通い続けました。

この結果、キャシーは生まれつきの重度の難聴だったにもかかわらず
普通の人と同じように話せるようになったのです。

聴覚障害を克服し、お笑いコンテストに参加する

そして、ある時、友人から脳性まひの子供たちのチャリティ企画であった
スタンドアップコメディコンテストに誘われました。

立ち漫談コンテスト、現在でいえばR-1ぐらんぷりのようなお笑いコンテストです。

しかし、当時のキャシーは全くの未経験な上に聴覚障害は変わらずにあります。
たとえ健常者と変わらず話せるようになってもハンディがあることには変わりません。

ですが、キャリーは誘いを引き受け、挑戦しようとします。
一人語りやお笑いなどのビデオを何本も借り、繰り返し練習しました。

家族や友人にも積極的に見せ、なんとお笑いの専門学校にまで入学しました。

これは、吉本でいうNSCといったところでしょうか。

そこでネタ作りについても徹底的に学びました。

そして、大会当日・・・

Red Curtain

大会当日、極度の緊張で頭が真っ白になったと言いましたが
障害を持つ子供たちを救いたいという一心で奮起しました。

結果は初出場でほぼ全くの素人ながら
80人もの参加者の中で4位に輝いたのです。

この日が、キャシーのコメディアンとしてのキャリアの始まりでした。

以来、様々なお笑いコンテスト、イベントで笑いの渦を起こしました。
ベストスタンドアップ女性コメディアンとして
およそ3年連続、5回もアメリカンコメディ賞にノミネートされました。

これは、R−1グランプリで言ったら
なだき武が2007年、2008年大会を連覇を超える快挙ですよね。

現在は女優としての活動もしており、
モチベーショナルスピーカー(自分が成功した秘訣や苦難を克服した体験などを話し人々を元気づける仕事)として
人々に勇気を与え続けています。

どんな出来事が起きても、幸せか悲しいかを選択することができる

『私に与えられた最高の贈り物は、私の難聴だった』
『神がでたらめなことに耳を傾ける必要はないと私にこの贈り物を与えたのです』

キャシーがポジティブな思考を始めたのは21歳のときのジープ事故でした。

「私は愛、暖かさと受け入れられることを探して人生の最初の20年を過ごしました」
「(ジープの事故によって)あの世にとどまるか、私の人生に戻るかという選択をできるギフトを得られました」
「人生をますます酷くしていたのは、私でした。 私が幸せか悲しいかを選択することができます 」

どんな出来事が起きても、自分がどう感じるかは選択することができることの素晴らしさを痛感したのです。

「最高に人生を生きること」

キャシーは、「最高に人生を生きること」をモットーに暮らしています。
最高に生きるということは、一日一日、一瞬一瞬を大切に生きるということです。

キャシー・バックリーの名言
「過去と言う足枷をはめたままでは人生を進むことは出来ない。
人生のドライブは後ろが心配だからと言ってバックミラーを見ながら、進む事は出来ない。
美しい景色を見るのなら、ただひたすら前を見て進むしかない」

 

これがスピーチをするキャシーです。
英語がわからなくても、伝わるものがありますよね。

ワンポイントコーチング

質問>キャシー・バックリーの生き方を通してあなたはどのような教訓を学びましたか?
   あなたは、一日一日、一瞬一瞬を大切に生きていますか?

 

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